料理人に聞く

[前編]ロレオール田野畑 伊藤勝康さん:岩手のテロワールを一皿に込めて

2010年代はじめに未曾有の大震災「東日本大震災」を経験し、160年以上つづく南部鉄器のつくり手として、これからの100年のあり方を自問自答するようになったOIGEN。その出来事に前後するように出会ったのが、震災の被害が甚大な海岸沿いの地域に何度も何度も足を運び炊き出しをする料理人、伊藤勝康シェフでした。

鉄器を片手に(両手に!?)、岩手というローカルな地でつくる伊藤流フランス料理ができるまでのメーキングストーリーを取材しました。前半は、取材当時50代半ばのフレンチ料理人が駆け抜けた、昭和のバブル真っただ中の下積み時代のお話です。

INDEX:「料理人に聞く」ロレオール田野畑 伊藤勝康さん
1.インタビュー前編「岩手のテロワールを一皿に込めて」
2.インタビュー後編「岩手のテロワールを一皿に込めて」
3.番外編 OIGENの南部鉄器は「俺の腕の延長だから」

伊藤勝康シェフ プロフィール
千葉県市原市出身 1963年生まれ
1995年 岩手県にIターン 牛の博物館併設のレストラン料理長就任
2000年 出張料理「ロレオール丘」を開業
2010年 ロレオール オーナーシェフ
2016年~
    地場食材を使用し、南部鉄器で調理するフランス料理で
    ローカルガストロノミーの可能性を探るべく田野畑村に店舗移転。
    岩手県の食材・工芸品PR、商品開発、地域活性化の活動も行う。
2011年 農林水産省「料理マスターズ」ブロンズ賞受賞
2017年 農林水産省「料理マスターズ」シルバー賞受賞

|味覚の英才教育!?仕向けられた料理人|

「フレンチをやろうと思ったのは本当に偶然で。昔、辻調(辻調理師専門学校)の小川先生が出てた「料理天国」っていう番組があって、フォワグラとか、ローストビーフとか、すずきのパイ包み焼きとか出てくるわけ。見たことも聞いたこともないから、どんなにおいがするんだろうって、どんな味がするんだろうって気になって気になって。」

そう取材の冒頭で話し始めた伊藤シェフは、千葉県市原市で農家を営む家庭の次男坊として生まれました。「うちは男が料理する家だったから、おふくろやばあさんが留守にすると、じいさんやおやじが作ってくれるんだよね。うれしくてね。うまいんだもん。」と懐かしそうに幼い頃を振り返ります。戦前は東京で蕎麦屋を経営する料理人だった祖父や料理上手な父に教わった、幼い頃の「舌」の記憶は尽きません。

「カレーうどん(をはじめたの)は、たぶん俺が一番早いよ。」というのが自慢の祖父が、千葉県内房で採ったあさりで出汁をとって、小麦粉から作る蕎麦屋のカレー。お客さんが来ると祖父が腕を振るったてんぷら。戦後は農業の傍ら不動産関係の仕事に就いた祖父に連れられて、開店前の蕎麦屋の試食会で食べさせてもらった蕎麦。

小学校の頃には切り出しナイフをもらい「遊び道具は自分でつくれ」と言われました。同じように、食材も自分の「手」で手に入れることを自然に学んでいきました。例えば、「卵産まなくなると(家で育てていた)鶏を絞めるの。その手伝いをしたら、いちばんおいしいところ食べさせてやるっておやじが。ささみのさしみよ。衛生的には危ないよね。でもうまいのよ。」と笑います。祖父と父とは山菜採り、キノコ採り、長芋掘りにも行きました。「それもなぜか(兄弟3人の中で)俺だけなんだよな」と嬉しそうに首を傾げます。

今でも何もないところから“つくる”ことが染み込んでいます。“食をつくる”ことの原体験が舌と手に刻まれながら育った子ども時代を経て、高校卒業と共に、調理の道へ進むことを決めます。

幼き日々を思い返しながら「(料理人になるように)そういう風に仕向けられたのかな」とふとつぶやく。

 

|「料理人は一日3時間睡眠で大丈夫。」|

祖父に料理人になると伝えると返ってきた言葉です。丁稚奉公で修業していた時に、睡眠3時間で2年間の修行の後、暖簾分けをしてもらった実体験から出た言葉でした。

「分かんなくて、この業界の仕組みがね。今みたいに情報ないし、おやじが五井駅(千葉県市原市)前に(洋食屋が)あるから、そこに行けばいいんじゃないかとか言うけど、そんなって。テレビで見ていたフランス料理の世界と、堺正章さんが主演した「天皇の料理番」っていうドラマ見て、こういう世界イイなって思っているわけだからさ。」

ご本人曰く、進路を決めなくてはいけない夏休みに遊び過ぎて、就職活動に全く取り組まなかった結果、進路指導の先生から「ボーナスいいからここだ」と薦められるまま、羽田空港や成田空港、隣接ホテルなどで飲食店を一手に運営する、「東京エアポートレストラン株式会社」に就職することになったそうです。

入ってみると驚きました。同期入社が100人。配属されたのは出発ロビーにあるコーヒーショップ。繁忙期は一日6000人の客が入る店でした。「6000人!?田野畑の人口の倍ですよ!」とその忙しさを振り返りながら、会社を去るまでの13年間「半分ほぼほぼ洗い物しかしてないよ」と苦笑い。洗い物しながらの下積み時代、最初の2年は調理場にも入れてもらえませんでした。

最初は接客の仕事から。泊まり勤務の時は昼間の12時にシフトが開始し、夜の8時ラストオーダー。片付けて先輩の夜食作ってから、先輩の靴磨きに、靴下洗い、トイレ掃除、テーブルの脚の裏磨きまでこなす日々。夜中の11時頃から「トレーニング」開始。グラス3段、コーヒーカップ10段をトレーに乗せて走らされる。それを先輩がストップウォッチ片手に“ご指導”。取材している筆者は「厳しいですね…。やめようと思わなかったのが不思議ですね。」と思わずつぶやくと、こんな言葉が返ってきました。

「俺が教わった最後のシェフ(=料理長)※は昭和20年生まれ。ある時、シェフの修行時代のノートを見せて頂いたことがあるのだけど、ものすごい努力をされていたんだなと・・・。その当時の羽田空港は国際線で、24時間体制。休みは月3日しかない。計算すると俺らの3倍働いてきたから、28歳という若さで、20名の料理人を率いるシェフという立場になっているんだと思いましたよね。」
※レストランで「シェフ」と呼ばれるのは料理長のみ。


※(写真)下積み時代の伊藤シェフ

 

|目指すはあのメインダイニング「AVION(アビオン)」|

最初の数年で寝なくても大丈夫という体力と、飲食業界のリズムに合った身体づくりができたと振り返る伊藤シェフ。「メインのレストランに行きたい」そう言い続けて4年目に、念願のフレンチを基礎にしたメインダイニングへ異動が決まります。そこは多くの店舗の料理長やサービスの幹部を務める先輩方が必ず経験してきた場所。「いい仕事ができる場所はあそこしかない」と目指した場所でした。

しかし、半年後念願叶って入ったメインダイニングが改装の為、フロア半分がコーヒーショップになることに。そのコーヒーショップの厨房で転機はやってきました。

「そこはコーヒーショップだから、付け合わせで出すサワークラウトとかピクルスも出来合いものを使ってもいいんだよと言われていたの。でも、(メインダイニングの厨房で経験を積んでいる)先輩が意地で全部ちゃんと仕込むんです。“明け番”は昼の12時に帰れるはずなのに夜中まで仕込みですよ。1か月という約束で行ったのに、半年経っても戻れず、さすがにちょっとふてくされて、戻してって言い続けたよね。

じゃ、“明け番”の時は18時頃までメインダイニングの仕込みを手伝いに行けと先輩に言われた。それを1年続けたら、先輩が責任を持って話をしてやる!って言ってくれたの。」

こうしてメインダイニングの厨房で仕込みを手伝うこと1年半。やっとメインダイニングへ異動が叶いました。

そこから伊藤シェフの快進撃が始まります。サラダなどの野菜の準備からはじまり、オードブル・デザート、料理の仕上げ、ブッチャー(肉・魚の下ごしらえ)、最後はストーブ前で焼き物、ソース。あらゆる工程で経験を確実に積んでいきました。

負けん気いっぱいの20代を過ごし、29歳の時にフランス料理のコンクールに応募します。結果は残念だったものの、いつもは厳しいシェフが厨房の材料を使っていいと特別扱いをしてくれた記憶は宝物です。「秤投げられたり、そのシェフが一番怖かったですよ。お前は生意気だから、一日中「はい」だけしか喋るな!と言われて。「いいえ」とかはないって言われたりね。」とのこと。

少し上の年代には凄腕の先輩がたくさん。ここに居続けても料理長になれない。フランスでの修行を目指すことに決めました。


※(写真)当時岩手県前沢町にあったレストラン「ロレオール」

 

|フランスから一転、岩手に!|

妻と子どもを実家の岩手県に帰省させて、退職金を片手にいざフランスへ!と思ったのも束の間。一度は承諾したはずの義父から「女房子ども置いて行こうだなんて、いったい何を考えている!」と言われてしまいます。今思い返せば、ある情報が義父の耳に入っていたようでした。岩手県前沢町(当時)で「牛の博物館」の建設に伴い、地元のブランド牛「前沢牛」を扱うレストランが、料理長を探しているという情報です。

「義父も心臓の手術をしたばかりで、女房の兄、姉も遠くにいたから、側にいて欲しかったのかな。肉の勉強になるから、3年だけならという約束で岩手に来ました。」

こうしてはじまった伊藤シェフの料理人人生の第二章-岩手編-。ここまでに南部鉄器もOIGENも登場しません。

たった一つの鉄鍋で、毎日の料理をつくるコト、食べるコトが愉しくなる一生分の時間を届けよう。東日本大震災を経て、そうOIGENが心に決めた一つの大きなきっかけは、岩手県にやってきた伊藤勝康シェフだと言っても過言ではありません。伊藤シェフが地元の食材を軽やかに、鉄器で調理する姿が見られるようになるのは、後半で。

ロレオール田野畑 伊藤勝康さんインタビュー後編

インタビュー後編
ロレオール田野畑 伊藤勝康さんインタビューの後編。
岩手のテロワールを一皿に込めて

インタビュー後編

ロレオール田野畑についてはこちら

文:薗部七緒(そのべななお)
2020年4月末日


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