たのしむをつづる

南部鉄の急須は水沢で生まれた

保温性が高く、優れたデザイン性を持つ南部鉄器の鉄急須。鉄器の中でも特に気軽に使用できることから、日本のみならず海外でも人気のある商品です。

急須は茶器。そのため、茶道具や贈答品として発展してきた盛岡の鋳物(参考記事:「南部鉄器」の物語(1))から発祥したイメージを持ちますが、「実は鉄急須のルーツは盛岡ではなく水沢にある」。
そう話すのは、OIGEN会長の及川源悦郎さん。なぜ鍋や釜など民衆品として発展してきた水沢に鉄急須のルーツがあるのでしょうか。源悦郎さんに詳細をお聞きすると、話は1950年ごろにまで遡ります。

急須のはじまり1

当時、寒さの厳しい地域にとって、生活に欠かすことできない重要なモノとして扱われていた南部鉄瓶。寒冷地では、薪石や石炭ストーブを使用する機会が多いため、乾燥を防ぐことを目的に、ストーブの上に水の入った大きな南部鉄瓶を使用する家庭が多くありました。

そのため、当時、水沢で造られていた南部鉄器の主要な販売先は北海道や樺太など、寒さの厳しい地域。産地問屋の販売担当者が、船に乗り、海を渡って、水沢の地で造られた南部鉄器を各地へ届けていました。

「当時は、写真があまり普及していない時代。綺麗な写真が撮れないから、カタログで商品を正確に伝えることは難しかった。だから、産地問屋は、実際に鉄瓶を手で運んで持って行って、お客さんから注文を受けていたんだよ。ところが、鉄瓶は重さのあるものだから、これを1人が持って歩くとなると、せいぜい4、5本がいいところ。鉄瓶を売りに行くのはすごい大変なことだったんです」(源悦郎さん)

急須のはじまり2

鉄瓶を売るために、実際に商品を運びながら移動するのはとても大変なこと。
北海道までと遠方ではなく、OIGENの工場から水沢の市街地まで行く近距離の移動でも、当時は北上川に橋がかかっておらず、舟で渡っていた時代。鉄器の重さから、運んでいる途中に、川に転倒してしまう問屋さんがいたという話があるほどです。
※当時、及源鋳造のある羽田地区と水沢の中心街は、大河である北上川によって分断されていました。

では、どのようにたくさんの種類の鉄器をお客さんに知ってもらい、売ることができるのか。その方法を発明したのが、OIGENと同じ水沢羽田に工場を持つ南部鉄器メーカー「日新堂」の千田新吉さんです。

「新吉さんという腕のいい鉄瓶職人さんがいたんだよ。その人が鉄瓶のミニチュアを造ってね。それを産地問屋がお客さんのところに持っていって『これの大きいものを販売しています』と売り込みをするようになった。小さい鉄瓶のサンプルを造ったんだね。細かい装飾がされている鉄瓶を小さい型で造るのはとても大変なこと。それを実現できるくらい、とても才能のある人だったんだよ」(源悦郎さん)

地域の人から「しんきさん」と呼ばれ、親しまれていた新吉さん。「どの程度本当だかわからないけど、昔、ショートした電線を電信柱にのぼって直したという噂もある」と源悦郎さんが話すように、その数々の逸話から「しんき博士」とも呼ばれていたそうです。 新吉さんの好奇心とモノづくりの腕の良さから、鉄瓶の小さなサンプルが造られ、その手法は水沢の鋳物屋中に広まるように。そのミニチュアの鉄瓶によって鉄急須が造られ始めるきっかけが生まれました。

急須のはじまり3

左が南部鉄瓶 右がそれを小型化した急須

「水沢の鋳物屋の中で鉄瓶のミニチュアがサンプルとして使われ始めると、次第に『この小さな鉄瓶を急須として使える』という話が出てくるようになって。茶こしを入れて、炭火でホーローを塗って、鉄急須を造るようになった」(源悦郎さん)

鉄急須が一般的に普及され始めると、鉄瓶職人から急須職人へ転職する職人が増加。鉄急須の生みの親である新吉さんの日新堂もその後、鉄急須の製造を主に行うようになりました。

新吉さんの孫にあたる急須職人の泰紀さんが小学生のころ工場であそんでいたことを思い出しながら「50年ほど前だけれどあの時は、焼型(鉄瓶と同じ伝統的な作り方)で急須を作っていたなぁ」と話してくれました。

 

急須のはじまり4

[OIGENの過去のカタログを見ていくと、住所に「水沢市」の記載がされ始めた頃に急須の販売が開始。水沢市が誕生した1954年前後に鉄急須が誕生したと考えられています]

 

| 鍋屋の急須、鉄瓶屋の急須 |

「私達OIGENのように、元が鍋や釜を造っていた鋳物屋も時代の流れとともに、鉄急須を造るようになりました。私達はルーツが鉄瓶にある鋳物屋とは違って、鍋や釜を造るように鉄急須の原型を造ります。一方で、ルーツが鉄瓶にある鋳物屋は鉄瓶を造るように鉄急須の原型を造るので、出来上がる急須の雰囲気が少し違うんです。鉄急須ひとつでもそうして鋳物屋によって違いが出るということが、ここ水沢羽田にある鋳物屋それぞれが、長い歴史を持って南部鉄器文化を継承してきた証なんです」(源悦郎さん)

急須のはじまり5

[現在、奥州市水沢羽田で鉄瓶職人をルーツに持つ鉄急須工場は3件ほどあります。OIGENファクトリーショップとOIGEN公式webサイトでは、その中の1件である「日新堂」所以の「鉄急須・桜皮寸筒」を販売しています]

ここ水沢で生まれた鉄急須。長い歴史を辿り、技術を継承してきたその鉄急須の味わいをぜひ手に取って愉しんでみてください。

文 宮本拓海(みやもとたくみ)
1994年生まれ。岩手県奥州市出身。
2019年4月よりフリーランスライターとして活動中。
WEB

教えてくださった方
及川源悦郎さん

昭和7年6月29日生まれ

東北大学金属工学科卒業後、家業である及源鋳造に入社。第四代目代表取締役社長。現在は取締役会長として後進の指導に当たっている。

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