タミさんの甥の勝倉さんは南三陸町で津波にあい、自宅は全滅。残ったのは高台の畑。その畑には仮設住宅が建っています。その脇の残った畑で作業をしていた時のことです。仮設住宅に暮らしている方が、「お茶の時間だから、これを食べて。」と持ってきたのは【タミパン】そして「これで作ったのよ」とタミさんのパン焼器とレシピを見せてくれました。勝倉さんはびっくりして「これは私のおばさんです!タミさんです!」と話したそうです。そうしたらそこにいた別の女性が「じゃ、一つ注文するわ」とオーダーをしてくれました。
- タミさんのパン焼器で焼いたプレーンなパン・ほわほわです。
津波でタミさんのパン焼器が流されてしまった。というお客様も昨年いらっしゃいましたが、この方のタミパンは津波にも無事に残り今でも活躍中。嬉しいです。
(写真は文章の方のパンではありません。)