料理人に聞く

愛媛県「森の国」の山の上のピッツェリア「SELVAGGIO」北久裕大料理長に聞く-前編-

新緑や、紅葉、そして冬は雪が降りつもり、季節によって異なる表情を見せる愛媛県松野町は、「森の国」という呼称で人気の観光地でもある。夏にはキャニオニングや、キャンプ、山登りなど、アウトドアアクティビティができる場所として多くの観光客が賑わう。

松山空港からは車で3時間ほどかかるこの場所に2020年の春にオープンした「SELVAGGIO(セルヴァッジオ)」は、四万十川源流の滑床渓谷の大自然の中にある、ホテル併設のピッツェリアだ。

ここで料理長を務める北久裕大さんは、28歳という若さでお店を任され、一人東京からこの町に移住した。料理や食材、生産者に対する考え方から、若くしてお店のトップに立つことの責任感、地域のためのレストラン作りなど、広い視野でかつ深い思考を持つ彼に、「地元で愛されるお店にするためには?」という視点から、OIGEN社員(及川円佳さん)がインタビューを行った。



北久裕大(1992年生まれ。東京出身)

2013年に福岡、小倉にて父と共にピッツェリア「フェルマータ」をオープン。その後2018年に東京練馬区「PIZZERIA GITALIA DA FILIPPO」岩澤正和の元で修行し、2020年に愛媛県松野町「SELVAGGIO」のオープニングに携わる。同ピッツェリアにて料理長を任され、地元生産者や住民と関係を築きながら地元の食材を活かしたピッツァ、料理を提供している。

 

森の国に移住するまで

ーSELVAGGIOは、都内の有名ピッツェリアFILIPPOの系列店として2020年の春にオープンして、愛媛県松野町は東京からふらっと来れるようなところでもないし、アクセスも悪い場所であるにもかかわらず、北久シェフはオープンと同時に東京から移住されました。その決断には勇気が必要だったのではないかと思います。ここに来るきっかけとそれを決断した理由についてお聞きしたいです。

SELVAGGIOがオープンすると決まった時、自分は東京のピッツェリアFILIPPOで働き始めて2年目で、お皿洗いをしていたような一番下っ端の立ち場でした。

自分がまさか新店舗を任されるとは思っていなかったのですが、オープンの3ヶ月前にFILIPPOオーナーの岩澤さんに「愛媛に行ってきて」と言われたときは、二つ返事で「わかりました」と言っていました。断る理由もなくて、NOという選択肢は自分の中でなかったので。その後、FILIPPOの先輩から2ヶ月弱で一気に料理を叩き込んでもらって、こっちにきました。

ーNOとは言わない姿勢、すごいですね。不安はなかったのですか?

マイナスからスタートするのが嫌いなので、基本仕事上でNOは言いたくないんです。

「本当に自分でいいの?」とは行く前も来てからもずっと思っていたけれど、岩澤さんも全くできない人間には任せないのかなと。自分を選んでもらった以上は、その期待に応えたいと思いました。今は来てよかったなって、心から思っています。

ー 何故、来てよかったと思うのですか?

ここでやっているからこそ学べていることもたくさんあるし、お店のトップに立ったからこそわかったこともありました。もし自分だけだったら、こんな山奥の田舎でやろうとは思わない、そんな環境で今やらせてもらえていて。松野町の人たちも好きなので、大変なのを差し引いても楽しいと思っています。

 

コロナ禍の営業

ー 北久シェフが「森の国」に来て、さあこれからだ!という時にコロナが発生して思うように動けなかったのではないかと思います。その時の思いをお聞きしたいです。

正直なところ、時間ができてホッとしました。自分が東京から松野町にきたのはオープン1週間前で開店準備でバタバタでした。松野のことを知って、食材の理解を深める時間もなかったので、契約農家さんの野菜の美味しさや松野の鹿の素晴らしさを、自分の言葉で説明できていなかったんですよね。休業になり、地元の生産者さんを回れる時間ができたとプラスに思っていました。

ー その期間中に食材の深掘りや関係作りなど、有効活用することができたのですね。

逆にもしその休業がなかったら、この町の人との繋がりも今よりも作れていなかったし、休業中にピッツァの仕込みを0から教えた新人のスタッフも、一年という短い期間の中でピッツァを焼けるようにならなかったかもしれない。コロナ禍の休業は会社全体で考えるとマイナスかもしれないけれど、レストランという枠組みでいうとプラスに働いたかな。

 

仕事への向き合い方

ー 私は、ものづくりメーカーとして「自分が商品を売る」という視点を勉強したいと思い、3ヶ月SELVAGGIOでインターンシップをさせてもらっていました。一緒に働く中で北久シェフのスタッフへの愛情や仕事に対する責任感、器の大きさをすごく感じていて。仕事に向き合うエネルギー、モチベーションは、どこから湧いているのでしょうか?

自分の師匠であり、フィリッポのオーナーでもある岩澤さんの存在かな。今までの自分の人生が彼や彼の周りの人からたくさん与えてもらっていたのでそれを返していきたいと思っています。

今自分が返せるのは、お金ではなくて、教えてもらった技術を下の子に教えることで。自分が上司や先輩にしてもらってきたことを今、レストランのスタッフや若い子たちにしてあげたいな、という感じですかね。モチベーションというと難しいけど、やってもらったことを返している感覚です。

ー 人って「自分をみてほしい」という承認欲求があると思うのですが、北久さんの自分より周りの人のためというGIVERな精神は、なかなか持てない考えで憧れです。従業員を育てたり、モチベーションをあげていくのも、料理長である北久シェフの力量にかかっていますよね。ビール好きなサービススタッフに、ビールについて全て一任したことがきっかけで、変わったスタッフもいたそうですね。

サービス担当の子とドリンクの仕入れについて話している時に「私はこのビールが売りたいんです」と強く言ってきたんです。笑

なので、ビールに関しては彼女に一任することにしました。すると休みの日に一人でブリュワリーに行ったり、自分が良いと思ったものを持ってきたりして、そこから彼女の仕事への向き合い方が変わったという印象がありました。

料理と合わせるならこのビールが良い、という自分なりの考えはあったのですが、自分の好きなものを勧めた方が、お客さんに熱意も伝わるし、お客さんもそれだけビール好きな人におすすめしてもらえたら安心する。結局好きな人間には勝てないんですよね。

ー それから変わったと言うのは、より積極的になったということですか?

自分で考えるので、仕事が作業ではなくなったのかな。料理の説明も、自分の言葉でしっかり伝えてくれるし、そのオーダーを取りたいって自然と思ってくれる。

会社としてはトップダウンでやらないといけないこともありますが、基本的には従業員みんながそれぞれ自分で考えるようになれば、みんなが自分の仕事に対して愛情を持ってやってくれるのだと思います。

ー トップダウンのやり方から、ボトムアップのようにそれぞれに任せるという勇気を持つことはレストランに限らず全ての組織にとって、とても勉強になります。

任されて潰れてしまう人もいるけど、任されて頑張れる人もいる。その辺の按配を考えるのもマネージをやる人間の仕事だから。従業員のことは守る必要はあるけれど、ある程度責任感を持たせてあげるとやる気にもなってくれるので、バランスは難しいけど、上手くいくと楽しい部分だなと思いますね。

コロナ禍というイレギュラーな状況で始まったレストランであったが、彼はそうした状況下までもを逆手にとってプラスに変える。

後編では、そんな彼の料理人としての食器との向き合い方から、生産者や町に対する思いた。

(後編に続く・・・)

 

ライター/井上美羽

埼玉と愛媛の2拠点生活を送るフリーライター。都会より田舎派。学生時代のオランダでの留学を経て環境とビジネスの両立の可能性を感じる。現在はサステイナブル・レストラン協会の活動に携わりながら、食を中心としたサステナブルな取り組みや人を発信している。

 

 



 


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