風土よみもの

地元にこだわる・ミュージシャン【ERYCA】

自分の育った風土や暮らしにしっかりと足を付けて・・・

ERYCAさんは岩手県奥州市を拠点に活動するサックス奏者、ボーカリスト。音楽活動のほか、ラジオのパーソナリティーや町おこしイベントに精力されるなど、多岐にわたる分野で活躍されています。
彼女は、今年で音楽活動を始めて20周年を迎えました。今月8月11日には初アルバム「Serendipity」をリリース。前日にOIGENファクトリーショップで発売記念ライブが開催されます。
ファーストアルバムの発売、ライブの開催を記念して、今回のインタビューでは、これまで続けてこられた音楽活動とこの奥州市、風土との関係や20周年を迎えての想いをお聞きしました。

<ERYCAプロフィール>
奥州市江刺区出身。幼少時から音楽と共に育ち、高校在学中からプロ活動を開始。高校卒業後、専門学校への進学を機に上京。卒業後は東京を拠点に音楽活動を行う。2004年からは、自身の音楽性に合う環境を求めて岩手に拠点を移し、音楽活動を本格化。音楽活動のほか、ラジオパーソナリティーや町おこしイベントなどにも携わっている。

 

岩手の時の流れ、大きな自然が、私には必要。 と気が付いた東京での生活

「一度東京に出ながら、岩手に帰ろうと思ったきっかけは、『合わなくなったから』です。テンポ感なのか、グルーヴ感なのか。東京に行ったことで、音楽の根本的な質が岩手の人達と合わなくなってしまったんです」

ERYCAさんは奥州市江刺区出身。高校を卒業後、専門学校への進学を機に上京すると、専門学校卒業後には東京を音楽活動の拠点としていました。しかし、「いろんなことを吸収したい」と考えて、東京を拠点としたものの、生活する環境を変えたことが音楽性に影響を与え『自分の大切な要素を殺してしまっている』と感じたといいます。

「本心では自分のやりたい音楽は地元にある、と思っているのに、奥州市に帰省して演奏をすると自分がイライラしていたんです。ゆったりとした空気感を待てない自分がいる。東京での生活に慣れてしまっていたんでしょうね。自分の大切にしていた感覚を失いつつあることがとても悲しかったです」

ERYCAさんの音楽には、自身が暮らしを営む環境が密接に関わっています。そうした音楽性のルーツには幼い頃から生活を共にしてきた「家族」の影響が大きいようです。

「特に祖父の影響が大きいです。祖父は、とても信心深くて、人と自然のつながりを意識しながら、『この土地に生かしてもらっている』という考え方のもと暮らしを実践していた人。私の実家が料亭を営んでいたので特別だったのかもしれませんが、お正月は庭の神様たちをお参りしないと食事がとれないなど、春夏秋冬の決まりごとを守っていました。


そうした暮らしを祖父と共にしていたからこそ、自分と自然が近いことが当たり前になっていた。そしてそれが私の音楽に直結するものだと考えていました。なので、岩手を大事にしようと思う気持ちで帰ってきたというよりも、音楽を続けていく上で、自分が岩手じゃなきゃだめだったんですよね」

自然とのかかわりを意識した暮らしから、自分の表現したい音楽が生まれる。だからこそ、ERYCAさんは、自分の音楽が自然から離れていくことに違和感を受け、2004年に拠点を岩手へ。以来、奥州市を拠点に音楽活動を続けています。

 

「人との出会い」に支えられて乗り越えられた「迷いの中の自分」

 

しかし、自分の落ち着く環境に身を置いた後にも、音楽をする上での困難や悩みはやってきます。その度にERYCAさんを救ったのは、「人との出会い」です。

「初めて壁にぶつかった時に出会ったのは、サックス奏者の表 雅之(おもて まさゆき)さんという方です。ちょうど悩んでいた時期に、一緒にツアーをすることが決まって、ツアーを周りながら、夜な夜なサックスのレクチャーをしてくれていました。ただ当時の私は、もう何を聞いていいかもわからなかいくらい悩んでいたんです」

「それならとにかく俺の真似をしろ」と表さんから声をかけられたERYCAさん。そうしてレッスンを受けながら、表さんから言われた一言に音楽への価値観が変化します。

「『苦しいのは、サックスを吹こうとしているからだ』って言われたんです。道具を使おうとするのではなくて、サックスを自分の口の先から生えているものだと思って『サックスで歌え』って。『歌うのと吹くのは同じことだから、自分が歌いたいことを吹け』って言われたんです。その言葉をきっかけに自分の悩みを解決することができました」

しかし、「そのあとにも、また壁ができたんですよ」と続けます。

「二度目の壁ができた時は、今のサックスの師匠であるボブ斉藤さんという方に出会いました。
その時に『この人を逃したら、自分は終わりだな』って直感で思って『弟子にしてください』と直談判をして、師匠になってもらったんです。定期的に一緒に周るツアーを組んでもらって、レッスンではなく、ステージの上でたたき上げてもらいました」

1回目の壁とは異なって、2回目の壁に対しては前向きに立ち向かおうと取り組んだERYCAさん。それぞれにどんな意識の違いがあったのでしょうか。

「『もう、だめだ』って諦められないくらい音楽活動に足を突っ込んでしまっていたんです。仕事の数が多くなれば多くなるほど『自分がこのままじゃいけない』と感じる場面が多くあって、それだけ音楽を本気で好きになっていました。だからこそ、今チャレンジをして、自分の納得できるところまでいけなかったら、きっとそれは音楽が自分には向いていないということだから、もうやめようって思ったんです。逃げようとしてやめるのではなくて、ぶつかってみてだめだったらやめようと考えました」
父と母の教えは私の中に根を張っていた。

「ぶつかってみてだめだったらやめよう」。物事を簡単に諦めるのではなく、自分のできることをまずは精一杯に取り組むという姿勢にも、家族の影響があるといいます。

「私の父、母は何かをする前から『無理だ』って言うのがすごく嫌いな人たちだったんです。『まずはやってみてから判断をしろ』と幼い頃から言われて育ってきました。そういう父、母が一番近くで支えてくれているから『やっぱり、やれることはやり尽くさないと』って気持ちになるんですよね。やれることはやりつくして、両親がやれるところまでやったって認めてくれないと、『無理』とは言えない。だからこそ、2回目の壁ができた時は、自分からチャレンジして打開策を見つけられたんだと思います」

自分の住む環境や風土に影響を受けながら、音楽に関わり続けてきたERYCAさん。壁に向かう度に出会う人々や家族に支えられ、音楽活動20周年を迎えた今、ERYCAさんの前にはどんな景色が広がっているのでしょうか。

 

レコーディングは自己肯定の作業


8月11日にリリースされる「Serendipity」はERYCAさんが初めて制作したアルバム。20年の音楽活動の中で、なぜこれまでアルバムを制作せず、今回初めてリリースすることが決まったのでしょうか。ERYCAさんに聞いてみると「レコーディングが嫌いだったからですよ」と答えが返ってきました。

「私はレコーディングにはトラウマしかなくて。自分からすすんでできないなと思っていたんです。そんな中、今回レコーディングをしようと思ったのは、ふと、あとどれくらい今のような活動が続けられるのだろうと想像しながら、いつか今の生き方から変化するかもしれないと考えた時に、作品をつくらなかったことを唯一後悔するだろうなって思ったんです。なので、アルバムを制作しようという気持ちになったんですが、苦手なことに取り組むパワーが必要だった。そこでなにか理由はないか考えていたら、ちょうど20周年が近づいていたんです。きっと今を逃したらもうないなと思って、アルバムを作ることを決心しました」

そうして望んだレコーディングはそれまでのイメージを払拭するほど「すごくたのしかった」とERYCAさん。初めて自らの意志で望んだレコーディングに対して「自己肯定の作業」だという印象を持ったといいます。

「自分がつくったものに、自分でOKを出す作業って、自己肯定の作業なんですよね。きっとレコーディングが苦手だった今までは理想とする何かがあったり、自分じゃないなにかになろうとする願望や欲求があったので、自分のテイクにOKを出すことができなかった。何かと比べて『劣ってる』とか何かと比べて『これっぽいからかっこいい』という価値観しかなかったんでしょうね」

ERYCAさんはこれまで続けてきた音楽活動の中で、一度もサックス奏者としての理論的な勉強は行ってきませんでした。そうして独自の音楽をつくり上げてきたものの、自身は「そこがコンプレックスだったんですよ」と話します。

 

あなただからこそ! 違うということはユニークな個性

「人と違うことがコンプレックスだったんです。やっぱりみんながかっこいいって思うものと、似通っている方が安心するじゃないですか。なので自分がこのままでいいんだと思えるようになるまではかなり時間がかかりましたね。それでも音楽活動を続けてこれたのは、これまで一緒に演奏をしてくれた方たちが『ERYCAだからこその良さがあるんだよ』と声をかけてくれたからなんです。そう言ってもらえることで、少しずつ『みんなと違っていていいんだ』と自分のことを受け入れることができた。そして今回のレコーディングでも改めて、自分が他の人たちと違うことをポジティブに実感することができました」

悩み、葛藤を抱えながらERYCAさん自身が作り上げてきた、ERYCAさんだけの音楽。今回のアルバム制作に向けたレコーディングでは、ERYCAさんの20年間が詰まった音楽が出来上がりました。

素のままの自分でいられることが、今の自分の音楽を作っている

「今まで出会ってきた人たちはみんな最高の人たちだった。今まで起きた出来事は、自分のことをとてもいい方向に導いてくれる出来事だった。今までのことすべてを『良かった』と思えているんです。そして、今のように私が他の人たちと違う特徴を持って音楽を続けることができたのは、地元に住む選択をしたことが一番大きい理由だと思っています。いい意味で、情報過多にならずに、気持ちが健全なままいられた。そして祖父から受け継いだ自然と自分とのかかわりを意識した生活を守ってこれたからこそ、今の自分の音楽性がある。それらが今回収録した音楽に詰まっています」

 

最後に、ERYCAさんにこれからの音楽活動への想いをお聞きしました。

「もともと音楽活動を始めた頃は、幅広く大勢の人たちにインパクトを与えたいと思っていました。でも今はもっと小規模な範囲に根深く響くインパクトを与えられたらと思っています。何千人、何万人を一気に相手にするのではなくて、私とライブの時間を一緒に過ごしたごく一部の人の気持ちにでも、私の音楽や言葉がじわじわと浸透するように。そうして誰かにとって、考えやライフスタイルを本気で変えようとするきっかけを与えられるようになれたらいいなと思っています」

ここに立脚し、ここを愛し、ここに愛されている。20年の音楽とのかかわりはそのまま、彼女自身を作り上げていく活動でした。ステージの上での凛としたプロミュージシャンの顔、コーヒーを飲みながら人を笑わせる明るい女性の顔。多様な「ERYCA」がERYCAさんには溢れている。

 

<ERYCAファーストアルバムリリース記念ライブ>
日時 8月10日(土)19:00スタート
場所 OIGENファクトリーショップ
ライブイベントの詳細

文 宮本拓海(みやもとたくみ)
1994年生まれ。岩手県奥州市出身。
2019年4月よりフリーランスライターとして活動中。
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