及源と南部鉄器

「南部鉄器」の物語(1)―水沢と盛岡の二大産地ー

岩手を代表する、はたまた日本を代表する伝統工芸品の一つである「南部鉄器」。
現在では、美味しい料理を作る道具として、または鉄瓶等の文化的価値の高さで、世界中で評価を得ています。

岩手では、台所に南部鉄器のすき焼鍋や鉄瓶が、茶の間には鉄の急須が・・・
そんな家庭が珍しくはない位、「南部鉄器」が、暮らしにとってごく身近な生活の道具なのです。しかし、「南部鉄器」に馴染みの深い岩手県民でさえ、「いつ?どうして?」ここ岩手で「南部鉄器」が誕生し、日本を代表する工芸品として認められるようになったのか、その変遷を知っている者は少ないのではないでしょうか。

     
  なぜ・ここ岩手で「南部鉄器」が誕生したのか・・・
  その誕生と変遷を辿ってみましょう!
まず、岩手において鋳造が始まり、発展した大前提として、当地が鋳造に最適な地であったことが挙げられます。

〔岩手において鋳造業が根付いた主要素〕
①鋳造において必要不可欠な砂鉄や鉄鉱石、北上川から採れる良質の砂や近くの山から採れる粘土、そして燃料である木炭といった資源が豊富にあったこと。
②北上川が流れ、船での運搬が容易な地であったこと。

北上川

昔ながらの伝統的な鋳造方法である焼型において、鋳型(鉄器の型)の製作に必要な材料である砂や粘土が、北上川(岩手県から宮城県にかけて流れている)より豊富に採れました。さらに近くの山々には、鉄を溶かす際の燃料である木材が豊富にあったことも鋳造の産地になりえた要因のひとつです。また、岩手県の中央を縦断して流れる北上川の存在は、船での運搬という大きな役割も担っていました。

弥生時代に大陸より青銅器が伝わり、その後製鉄技術の進歩により日本各地でも鋳造が行われるようになった古来。暮らしの道具である鍋・釜はもちろん、仏具、茶器、灯籠、時には大砲といった様々な鋳物が、各時代の鋳物師たちによってつくり出され、その時代時代の社会や人々の生活を形づくっていきました。

料理にはかかせない鍋、農作業で使用する鎌や鋤、仏教の普及とともに需要が増えた梵鐘や鰐口わにぐち、茶道で用いる茶器、そして戦争の度に技術が進歩した大砲や船舶など・・・多種多様な用途のため、千差万別に姿を変えた鋳物が、その誕生以来、人々の生活の至る所で活躍していました。
鋳造が行える地というのは、古来の人々にとって非常に価値のある、恵まれた地そのものだったのです。
鉄の狛犬

続いて一口に「南部鉄器」と言っても、岩手県には二つの大きな産地があり、その起源と特色には様々な違いがあることを知っているでしょか。
 

一つは、県庁所在地である盛岡市。
もう一つは、OIGENが位置する奥州市水沢地域。
  ※二つの産地で興きた「南部鉄器」を区別するため、以下それぞれ「盛岡の鋳物」と「水沢の鋳物」と呼称します。

 

まず、美術工芸品としての色が強い「盛岡の鋳物」の起源は、江戸時代、南部藩による盛岡城築城の頃が始まりとされています。3代藩主の時代に茶道の興隆のため京の釜師が登用されたほか、その後も京や甲州(現在の山梨県)から職人が重用され、藩のお抱え鋳物師として南部藩の文化の発展に大きく寄与しました。盛岡の鋳物は、茶道具や贈答品としてより洗練され、芸術性も高い、南部藩にとって自慢の重要な品として発展しました。さらに、9代藩主・利雄の時代には、お抱え鋳物師の一つである小泉家3代仁左衛門が、現在の「南部鉄瓶」の原型である鉄瓶を初めて作ったとされています 。

一方の「水沢の鋳物」(かつては田茂山たもやま鋳物)は、江戸時代よりさらに遡った平安時代末期。
世界遺産「中尊寺金色堂」などを擁する平泉の繁栄に大きく貢献した藤原氏が、近江(現在の滋賀県)より鋳物師いもじ(鋳物職人)を招いたことが始まりとされています。当初は、藤原氏の住居があった豊田館とよだのたち(現在の江刺岩谷堂)で鋳造が行われていましたが、その後OIGENがある水沢羽田町へとしだいに南下しました。

「水沢の鋳物」は、茶道具や美術的要素が強い「盛岡の鋳物」と異なり、生活必需品である鍋や釜が多く作られ、主に民衆向けとして発展しました。藤原氏の滅亡直後は鋳物師は各地に離散しますが、羽田町に残った一部の鋳物師は半農半工の生活を始めます。その後、江戸時代には、伊達藩によって鋳造の統制と保護が図られ、権力者の庇護の下でその衰退を逃れたのでした。

     
時代は流れ、戦争や生活様式の変化、高性能な製品の流行によって、度重なる衰退の危機を経験した水沢と盛岡の鋳物業ですが、昭和34年(1959年)に両地域の鋳物組合が共同で「岩手県南部鉄器協同組合連合会」を設立、「南部鉄器」という現在の名称に正式に統一します。「南部鉄器」の「南部」はもともと、かつて盛岡の藩主であった南部藩の「南部」が由来しており、水沢の鋳物においては「岩手の南部に位置する」という地理的要素から「南部」という名称に統一されました。
昔ながらの暮らし

江戸時代に始まり、主に献上品や美術工芸品として発展した「盛岡の鋳物」と、約950年前の平安時代に始まり、生活の道具である鍋や釜で発展した「水沢の鋳物」。
今となっては、「南部鉄器」というひとつの伝統工芸品として知られていますが、「南部鉄器」には二大産地があること、起源や特色はそれぞれ異なることを知ると、その実用性やデザインとはまた違う「南部鉄器」が辿ってきた年月や物語にロマンや面白さを感じます。

 

江戸時代より、さらには平安時代より、ここ岩手に根付いた鋳造業が、その時代時代とともに様々な変化を遂げ、栄枯盛衰を繰り返しながらも、しかし確実に今日まで受け継がれているのです。

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