風土・Food・風人とは、岩手の“風土” の食材でつくった料理 “Food” を、地元の人はもちろん、地域の外の人“風人”にも味わってもらうことで、岩手のゆたかさや文化を感じてもらうイベントです。2012年から2020年春まで15回にわたり、岩手県奥州市にて開催されてきました。地元の生産者、シェフ・料理人の方々と一緒に、OIGENも料理にはかかせない鍋・釜をつくる鉄器屋として風土実行委員として携わってきた「風土・Food・風人」。オフラインでのイベント開催が厳しい2020年より、オンラインという新しい形での開催を挑戦しました。
2021年3月14日に行われたオンライン風土では、東日本大震災から10年ということで、「3.11を振り返って」というテーマのもと被災した岩手の生産者さんと当時炊き出しをした岩手の料理人のスペシャル対談が実現しました。当記事では、その対談の模様について実際のイベントの写真と一緒にお届けします。
話し手(写真右) :佐々木淳さん(岩手県大船渡市 「恋し浜ホタテ」生産者)
聞き手(写真中央):伊藤勝康さん(岩手県田野畑村 「ロレオール田野畑」オーナーシェフ)
司会(写真左) :小川愛(岩手県奥州市 及源鋳造)
小川:本日は、岩手県大船渡市から恋し浜ホタテの生産者さん、佐々木さんにお越しいただいています。実際にホタテをたくさん持ってきていただいていまして、本当に実がプリプリッと大きいですね‼
佐々木:(ホタテに指を)挟まれるから…。
会場:(一同笑い)
小川:(盛り付けたホタテをカメラに向けながら‥‥)ホタテはこちらに置いておきます。後ほど、実際に伊藤シェフにもお料理していただきます。
今日のオンライン風土イベントの大きなテーマは「震災を振り返る」。先週木曜日、3月11日で東日本大震災から10年経ちました。私もその頃は高校生でした・・・。そもそもこの「風土・Food・風人」というイベントも、震災をきっかけに始まったイベントです。
今日は、沿岸地域でホタテの生産をしている佐々木さんと、震災当時に炊き出しなど様々な活動をされていた伊藤シェフ、お二人が出会ったきっかけや、震災当時にお互いどういう事をしていたか、あと(東日本大震災を経験をふまえて)大事にされている想いなどをお聞きしたいと思います。
また最近全国各地で地震も多くなってきているように感じますが、今後の防災のあり方など、今日はお二人にいろいろなお話を聞きたいと思います。お二人の対談形式になりますので、(佐々木さん、伊藤シェフ)よろしくお願いします。
目次
1 伊藤シェフと佐々木さんの出会い
2 東日本大震災の体験
3 伊藤シェフの炊き出し
4 これからのこと・・・
伊藤シェフと佐々木さんの出会い
伊藤:はい、じゃあ、私達の出会いから始めましょうかね。
佐々木:あのときはですね…
伊藤:変な、変なやつ(笑)
会場:(一同笑い)
佐々木:(伊藤シェフとの出会いは)震災の3年前ですよね。私はホタテの生産者であり、漁師であるので、“海で捕れるもの”と一口に言ってもいろいろある中で、「どのように消費者に訴えれば良いのか」というアドバイスをいただきに仲間と(伊藤シェフのもとに)伺ったんですよね。
伊藤シェフに初めて持っていったのは、うちで養殖してたムール貝と、もうひとつは、いわゆるイサダって我々は呼んでるんですけど、オキアミでした。それまでは、(オキアミは)ほとんどが養殖の魚のエサとなってたんですよね。「それ(オキアミ)を食材として使ってもらえないか」ということをお願いしに行ったのが初めてでした。
・・・で、伺ったら、(伊藤シェフが)疲れてはいないんだけど、あんまり「いらっしゃいませ!」という感じじゃなくて、「あぁ来たんだ」的な感じでした。
「何もってきたの?」
「ムール貝とオキアミ持ってきました」
「ああ。じゃあちょっと待って、料理してくる」って、10分くらいで料理してきてくれたんですよ。
伊藤:(そんな出来事)忘れた・・・
会場:(一同笑い)
佐々木:ムール貝のパスタとオキアミを使ったパスタ。2種類をもうパパッと作ってきて。我々漁師2〜3人で行ったんですけど、それがまた美味しくてですね、初めての味で。オキアミがまさか、ああやって料理になったのを食べるのは初めてだったんです。シェフってすごいんだなと・・・。それまでシェフ(料理人)という方々との出会いっていうのは、なかなか無かったですね。
伊藤:うん。そんなことで出会って、ムール貝もなかなかね、養殖も大変でね。
佐々木:そうですね。わがままな生き物ですね。
伊藤:だいたいね、「生き物を人間の都合でなんとかしようと思ってること自体が間違ってる!」と思うけどね。
佐々木:そうですね(笑)
伊藤:佐々木さんが、一番よく分かってると思うんだけど、ツノナシオキアミ(イサダ)なんていうのは、スーパーフードでね。「あれ(オキアミ)を本当にみんなが食べるようになれば、ものすごく健康的な生活を送れるようになる」と思うんですよ、私は。
佐々木:ええ、ええ。
そして・・・2011年3月11日の東日本大震災
伊藤:佐々木さんのおかげで、ああいう良い食材を手にすることができたんだけども、まぁあその流れで震災があってね。
佐々木:そうですねー。
伊藤:すごく大変な経験をされたと思うんだけども。あのときは海の上?
佐々木:海の上で大きな揺れを受けましてですね、もう船もなんていうか、“ガガガガガー”みたいな。止まらないんですよね…。止まらないし、船の装備:ボルト・ナットで止めてある部分が全部飛ぶんじゃないか、ってぐらいで。爺さんから聞いて、沖に逃げれば良いんだっていう風な話を聞いてたんですけど、それよりももう家が(倒れて)ないんじゃないかっていう。
伊藤:うん。
佐々木:海ごと揺れてたんで。丘が近かったので、全速力で家帰りました。たしか津波が来るのは、引き潮が最初っていう噂は聞いてたんで、「もしこれで走ってる途中で引き潮始まったらどうなるのか。でも海の底にトンって船がついちゃって。そこから走れるか?」っていう感じでした。そんな知っている(自分自身が経験してきた)世界じゃないです。そんなのが頭よぎりながら、逃げて漁港に入って、船つけて高台で見てて、水かさが増してきて、さっきまで乗ってきた俺を送り届けてくれた船がひっくり返ったのまで見ました。で、もみくちゃになってどっか行っちゃった・・・。
伊藤:そう考えると、その短時間の中で、よくそういう冷静な行動が取れたというか。
佐々木:いやー本当に、その時なのかな、後で思い返したのかな。よくわかんないですけど、(使用している)延縄式養殖いかだは普通は動力を使って外さなきゃいけないんですけど、手で外したんです。その時に、焦ってたっていうのは記憶にあります。火事場のクソ力…あ、馬鹿力です。
伊藤:クソでもいいけど(笑)
会場:(一同笑い)
伊藤:でもやっぱそういう、何だろう・・・。実体験した話「津波が来るときはこうだとかね、それから多分その後、逃げなきゃいけないとか、例えば逃げたときに何がやっぱり最低限必要かとかね。」ということを当事者から聞くことって大事ですよね。
佐々木:ええ。漁師の話がどこまで参考になるか分からないのですが、我々漁師というのは普段から「低気圧などで荒れている海に出なければいけない。また出て行って強風が吹いてきたり・・・」とかってあるんで、あれだけの大災害でも、“(あくまでも)災害でのデカイやつ”っていう感覚なのかもしれないですね。漁師みんな怖い思いはしたんだけど、でも“その時(震災当時)”で終わっているんです。またすぐに海に出ようとする。これがちょっと不思議な感覚で、よく人から言われるんですけど、「確かになぁ・・・(震災を経験しても“海”へ出ることは)怖くないな」。
伊藤:まあ、皆さん真似しちゃダメですよ!
会場:(一同笑い)
全国の有名シェフが駆け付けた炊き出し
伊藤:そして、恋し浜にも炊き出しに行ってね。
佐々木:そうですねー。有り難かったです。
伊藤:コミュニティの大切さって、凄く感じたんですよ。この人(佐々木さん)ね、防災無線で「伊藤シェフが炊き出しにきます‼」って放送しちゃうんですよ・・・
佐々木:地元の皆さんの中には伊藤シェフのことを知らない人も多いと思うんで。“凄く有名な方です!”ってね。
会場:(一同笑い)
伊藤:凄いんですよ。彼らはホタテの生産者さんでありながら、(地域の)青年部で、それがイコール消防団なんですよ。だから全て地区内を仕切っていて、関係が近過ぎて良くないこともあると思うんだけど。僕が炊き出しに行って、全国区のシェフと(炊き出しに)行くんですよ。
(佐々木さんなどの生産者さんたちの)お父さん達が、彼ら(佐々木さんなどの生産者さん)がまだ若かった10年前の頃ですか、そのお父さん達の世代で50代後半、60代の働き盛りで、自分たち(炊き出しするシェフたち)に対してね、「息子達が頑張っているから、応援してやってくれ」って。どのお父さんもそのような事をおっしゃる。
恋し浜の地区が、他の地区の他の漁師さんと違うことできるのは、たぶんそういうこと(コミュニティの中の絆の強さ)なのかなって…。ずっと思っているんですよね。
釜石の尾崎白浜で食会のお母さんたちがね、まとまって300人分のまかない、朝昼晩にしたら900食だよ⁈を交代で作ってたけど。みんな持っているもの(食材)を一度集めて、再分配するみたいなシステムというかね、食い繋いでいく方法も、“学び”だよね。(震災の経験も含めて)いろいろ体験した人たちからも(みんなが)学んでいかないといけないよね。
佐々木:ちょっと(震災当時の炊き出しのことに)戻りますけど、(伊藤シェフから)電話で、「ちょっと何人かで炊き出しに行ってよいかな?」って連絡をいただいて、「いやーありがとうございます!是非よろしくお願いします。」と。
(伊藤シェフが)さらっとしたことを言ってくれるんで、いつも。来た時はもう、全国的に有名なシェフをいっぱい連れて来てくれて。炊き出しの時は食材を集めて、みんなどんなシェフもパパッと(料理を)やってくれる。もう(良い意味で)大変でしたよ・・・。「我々の田舎ではこんなの食べたことないよ」みたいな感じでした。「震災がなかったら食べれないよ」みたいな。
伊藤:またそういうのが交流のきっかけになったりするんだよね。
佐々木:そうですよね。
自然に人間が合わせていく
伊藤:そういう大きな災害があった後に、色んな準備すべきこととか、(最近は)テレビでもやってるし、たぶんみんなも学習してきてると思うんだけど、最後に今の海の環境なんかも変わってきてる話を(佐々木さんに)聞けたらなと。
前に親潮が1回切断しただけで、海の状況が一変したという話を(佐々木さんが)してくれたけど、まあ我々がどうすべきかって、もう(対談の)時間もないので一番気になる話(環境や今後のことについて)をお願いします。
佐々木:おっしゃる通り、自分が言ったことですけど、親潮が切断、返りが変わちゃって、黒潮の勢力が強かったりすると、今まで釣れてたウニとかアワビとかのエサの昆布が繁茂(はんも:盛んに生い茂る)しなくなる。
そういうのがあるんですけども、その中でも自分たちが出来ること:資源としてウニがいっぱいあるとか、実は痩せてても(ウニが)あって、それをなんとか陸上で養殖する、というのは我々の仕事なんです。で、それをやるにあたって、漁師だけではなく、シェフの方々からの「こんなエサだったらもっと美味しくなるよ」とかいう助言を聞きながら、“新たな産業”っていうのも作っていかなければならない。
「自然にこっち(人間)が合わせないといけない」というのが当然だと思うんで。
伊藤:我々はね、自然に抗おうと思っても無理だからね。我々が変わっていくことを考えなきゃってね。
佐々木:その時々に臨機応変でね。(みんなで)やりましょう。
伊藤:はい。心して(笑)
対談日:2021年3月14日